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用途不定の建築ー建築の原点

学生作品授業紹介

葉山スタジオ 3年生、4年生の前期第一課題は合同課題で、「用途不定の建築」を模索しました。建築を、機能、プログラム、環境、社会性などからではなく、「純粋な建築として構想することは可能なのか。」に挑戦しました。

板倉さんは、地形と空間、光と影、空間体験の連続性に焦点をあわせて提案。専門学校からの3年次編入ですが、「建築が面白い!」と言っているので、すでに1ケ月でセイカ建築に溶け込んでいます。

大柿さんは、空間の亀裂が生み出す空間性を提案。模型は、プロダクト学科の真空バキューム成型機械を借りて制作。大学内の施設、機械を使いあう環境もセイカの魅力です。

奥田さんは、数学関数の2次曲線から空間を創り、闇と光の根源的な関係を考察。

3次元幾何学形態を組み合わせたエスキースは、ロシア・アヴァンギャルド時代の建築大学、ブフテマスでの建築教育を想起させます。

美しい断面図。

地面に掘られた2次関数の曲面で、太陽の光を集光し、ドームへ落とす。

 

降り注ぐ、光を描写。

実際にどのような光が降り注ぐのか、体験したいものです。

トマソンの魅力を活かしたい、という問題提起から始めたのは斎藤さん。トマソンとは、世の中にある、かつては機能していたモノの痕跡や、奇妙な場所です。

機能を失っても、なお、存在するモノや、意味や主旨を持つデザインがなされていない、機能性だけで生まれた工場などを参照しつつ、新しい建築を模索し、提案。

トマソンや廃墟、例えば軍艦島が今なお持っている建築的魅力について考え続けました。

坂田さんは、新古典主義に回帰したような、建築の純粋性を模索し、創作。

ルドゥー、ブーレ、ルクーから学びました。

光を体験するだけのためのタワー。

その内部の空間。

球体空間と外部空間との相乗空間体験。

 

 

現在の大学での設計課題は、社会性が中心となり、加えて従来の機能性、プログラムがあるのが現状ですが、「機能・用途を持たない建築」の構想には、「建築」の持つ・持つべき純粋な強さが宿ります。

建築教育の現場で、そうした模索をすることができる大学は少ないと思います。

 

現代社会では、「戦争」はするべきではないので、やめるべき。

それは正しい考えなので、その方向で世界中の人々は日々の生活の中で、自分のできることを考えながら動くことは当然です。

しかし、そもそも、「戦争」が持っている意味は、何なのか。その根本からの意味を自分なりに問い直す時間も必要だと思います。

 

経済性や機能性、デザイン性から建築を設計し、建築が存在する正当性が保証されてきた時代は終焉を迎え、地球環境やローカルな社会性・場所性から建築を考え始めている時代ですが、

この状況の中で、「建築」が社会に存在する意味は、何なのか。という根源的な建築の問題について、学生と教員が模索した時間=教員と学生が真剣に考え続けた時間になりました。

建築家の原広司さんは(京都駅を設計した建築家)は、40年前くらいに、「建築に何が可能か」という書籍を著してくれています。今一度、歴史を振り返ることは大事だと思います。

 

今回の課題では、建築の持つ芸術性と暴力性、包容力を若い学生たちと共用することができ、課題の主旨に対して、教員と学生がきちんと向き合った時間になったと思います。

建築が持っている人への強制的な空間体験ファシズムと、人に寄りそう優しさがあることを知って欲しいと思っています。

 

今回の課題の中で考えた時間は、学生と教員の次の課題。問題提起につながっていくことでしょう。

何より、学生が毎週つくってくる建築提案・エスキースを、「話のタネ」にして、教員同士で意見を交換しつつ盛り上がっている時間は、教員も楽しい時間であることは確かですが、加えて横で聞いている学生たちにとっても、有意な時間になっているはずだと確信しています。

楽しく苦しみながら、建築を考える時間。

 

しかし、空間性を表現する手段として、学生が選択した手法は、鉛筆でのドローイング。

葉山の卒業制作や、セイカ建築を立ち上げた高松伸先生の鉛筆ドローイングを披露したからかもしれませんが、コンピューター表現=CGに頼らない、今までの古臭い手法を選んで表現してくれたことには、とても新鮮で嬉しい気持ちになってしまいました。

コンピューターでのわかりやすい、見やすい、きれいな空間表現と、手と時間が生み出すドローイングの持つ感情的、直感的な奥の深い空間表現の、「両方」を空間表現の武器にして欲しいと思います。

 

これから社会に出たときに、絶対に役に立つはずです。

間違いありません。

 

 

 

 

posted date 2022.05.15
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